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 しきたり(49日法要)


 葬儀を仕切るのは実質僧侶である。お経を上げながら「南無妙法蓮華経と22回唱えなさい」と命ずる。
 これは日蓮宗のルール。「しるす」に書いた義母の葬儀の最中のことである。
 私は一瞬戸惑いを覚えたが(我が家は浄土真宗で「南無阿弥陀仏」と唱える)、そこはしきたりに従い唱和することにした。
 普段はお経など上げない不信心者だから、うまく発声できない。喉の奥でくぐもっている。挙句の果に呼吸困難に陥り、あえぐ始末だ。住職の声だけが朗々と響く。どうやら鍛え方が違う。お寺のお坊さんが長生きできる訳を垣間見た気がした。
 他宗の「しきたり」に合わせるのに、それほどの違和感はない。これが日本的宗教観とでも言うものなのだろうか。
 一神教の信者(僧侶は当然だが)は他宗派の葬儀には出ないものだ。最近は宗教とは関係のない「お別れ会」などを、家族葬の後で行うことも多いようだ。
 日蓮宗のしきたりに則った49日法要が来月檀家寺で行われる。通夜の食膳で住職と席を共にしたので「49日法要」とは如何なる理由で行われるのか問うたところ、住職答えて曰く「人は一つの生を終わると、次の生を受けるまで冥土の旅をなさいます。この49日間の旅が現世と来世の間にあります。これを中陰と呼び七日毎に閻魔様による審問会が開かれます。死出の山に始まり、三途の川を越えるこの路は、六道の辻へと続いております。夫々の辻は、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天界の六つの世界を指すものです。49日の間に審判を受け、中陰の旅を終えると、死者は初めて成仏いたします」と話してくれた。続けて「そういうことですから、7日ごとに仏壇に向かい追善供養して死者の魂が天上界に行けるようお勤めししなければなりません」という話であった。
 宗派によって追善供養の方法は「しきたり」が大きく違うようで、はるか昔1220年代に日本の仏教に大きな変革を与えた、日蓮、親鸞、道元などの興した宗派は、その考え方が今にも受け継がれている。
 近づく49日法要。その家の宗派のしきたりに従い、再び「南無妙法蓮華経」を20数回唱えて、故人の天上界への成仏を喜ぶことにしょう。

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